サコダ小水力設計は、小水力発電コンサルタントとしてエコで自然に優しい小水力発電への関心が高まる中、導入に際しての技術検討や複雑な法規制のしくみなどに戸惑い、足踏みされている方々からのご依頼に応じて、小水力導入に際しての基本設計や事業性評価を行い、最適な小水力発電施設導入のご提案を致します。FIT制度もいつまで続くのか分りません。事業者は決断する時です。
久しぶりに「黒部の太陽」を見ました。
今まで10数回は見てるけど毎回感涙!
最近、昔のことが思い出される。。。もうすぐ還暦。年ですわ。
今は亡き石原裕次郎と三船敏郎。
二人とも若いね。
出演者全員。寺尾聡 とか。
物語は昭和31年からスタートします。
関電の元 太田垣社長から説得されクロヨン建設所次長を引き受けされる。
私はまだ生まれてない。
私が関電に入ったころの社長は小林さんでした。一回だけ現場視察時に見たね。
交通整理とカメラ係していた体か震えていた覚えがあります。
偉い人とは会う機会がない会社でした。関電は。
後年、大阪で本店勤務していても常務クラスどまりで社長さんとは会ったことも話したことも無かったです。大企業だったなー と。
ちょいズレた。
黒部へ
思い出すのは、「関電トンネル」です。
あの破砕帯。
何回も見て歩き、過去に現場が体験したことが理解できた。
あの短い区間で数か月も足止めした自然の意地か。
しかし、諸先輩や有志の会社は突破した。
熊谷組 万歳! 佐藤工業も。
関電トンネル には格段の思い出があります。
若いころ、トンネル巻き立てコンクリート上部に、岩盤と巻き立てコンクリートとの間に空洞があることが、判明した。 お前が対策を検討しろ。 と指示され現地調査含めて散々やりました。
空洞があると、岩盤が剥脱、落下すると巻き立てコンクリートを突き破り、トンネルに落下してトロリーバスや通行車両の乗員が負傷する虞がある。
それは大変だ ということで、検討し空洞を軽量なウレタン樹脂で填充する計画を立てました。 そんな思い出です。 文章にすると簡単ですね。。。
私が生まれた昭和36年にはとっくに完成しています。
でも、その19年後に関電に入社した因果を感じます。
「黒部川第四発電所」
なんて良い響きなんだろう と思います。
黒三、黒二、ほか全部知っているし、思い出の現場たちです。
この2ダムの洪水吐ゲートの取替には難儀したなー。
宿舎に泊まり込と、川の音が囂々と響きとても眠れたものでなかった。
先輩たちの鼾よりも酷い。
高熱隧道も。竪坑エレベーター200m垂直上昇 とか。
クロヨンの思い出。
導水路は約10km。途中に棒小屋沢取水路 ってのがあります。
ダム下流右岸の十字狭から取水して導水路に注水している。
ここの落差利用で小水力が出来ないのか検討しましたね。結果はダメでした。。。
この時、45°チロル取水を見ました。
こんな山奥でも取水出来ると考えた先輩たちの知恵は凄い。
やはり「技術の関電」でしょうか。
黒部ダムには縦横無尽に監査廊 と言う穴があります。
ダムの状態や点検を行うためのトンネルですね。
そこの途中に「黒部温泉:?」があります。
トンネルから自噴している温泉をプレハブ小屋の風呂に引いてる。
知る人ぞ知る温泉。これは凄い。芸能人でも誰も入れない従業員のみ専用!
まだ尽きないですが、このくらいで。