サコダ小水力設計は、小水力発電コンサルタントとしてエコで自然に優しい小水力発電への関心が高まる中、導入に際しての技術検討や複雑な法規制のしくみなどに戸惑い、足踏みされている方々からのご依頼に応じて、小水力導入に際しての基本設計や事業性評価を行い、最適な小水力発電施設導入のご提案を致します。FIT制度もいつまで続くのか分りません。事業者は決断する時です。
30代編です。
平成5年に美濃川合建設所へ異動。
社宅は可児市の借上げマンション。
美濃川合では番頭さん以下4名の担当がおり、少ない体制のなかで良くやれたと思う。
辛かったが若いので何とかできた。
平成6年2月に一人娘誕生!!
結婚して5年目で半分諦めていた分、嬉し過ぎて果物籠に入れて建設事務所員にご紹介した。
すくすく成長してくれた。おっとりした性格。容姿は私にそっくりと看護師さんに言われその通りだと思った。
他の子と比較しても自分の娘が一番可愛いと思った。
出産時に奥さんが大量出血し輸血寸前になる。このトラウマで一人っ子政策となる。
この時期は人生で二番目に楽しい時間だった。
平成6年1月に阪神大震災が発生し、可児市は震度4くらいであった。
早朝で飛び起きて箪笥が転んでこないか押さえていた。いざとなったら下敷きとなり家族を逃がさないといけないと思った。
すぐに建設現場を見に行き異常がないか確認し安心したのを覚えている。
あの時は地山30m直掘りしていたから法面崩壊を懸念した。
現場は課長、係長、番頭さん、わし、某1君、某2君の体制。
近年の建設ってこんなに少ない体制かとおもったのと同時に、支社長から時間外はするな(35h上限)と言うバカなお達しがあり意気消沈したが、それ以上の義務感を感じていたのでバリバリとサービス労働した。今考えれば数百万円の損失だね。。。
昔の人から聞いたけど、建設工事数か所に勤務すると家が建つって。。 そのとおりだけど、その恩恵を私は受けていない。
娘はすくすく育ってくれました。
平成7年6月美濃川合発電所完成 本店土木保修課へ異動。
着任の日に黒部川水害発生。徹夜で某2ちゃんと対応した。
月の半分を北陸支社の応援へ。
半年程度つらい時間が続く。
復旧費用約300億円 黒部川水系を維持するとの会社の強い意思あり。
同僚のとは波風立てずにしていた。
本店勤務の思い出はあまりない。管理業務だからだと思う。
しいて言えば「赤鬼」副部長か?
一番嫌いな上司でしたね。
平成8年9月自宅マンション契約。
消費税3%期限ギリギリでライオンズマンション枚方ガーデンヒルズを契約。
完成入居予定は平成10年4月。
平成9年12月姫路支店土木建築課へ異動
新居への入居間近かなのに当時の赤鬼副部長の画策で、2.5年で本店をクビる。
大嫌いな上司No.1だね。
送別会で君はフィフティーフィフティーだ 発言される。
要は将来役職になれるかどうかについての発言で、今風に言うと完全にパワハラ発言!
単身赴任となるが飾磨寮の管理人とトラブり新幹線通勤にする。
約2年後に新幹線通勤の見直しにて取り消され、寮生活に逆戻り。
馬鹿な労務屋が多い会社であった。
姫路での仕事は当初は火力発電所の保全を担当、途中で水力担当になる。
幅広い業務を経験し有為であった。
娘は成長し、幼稚園に入園。
平成10年4月ライオンズに入居
新居の出来の良さに感激。
流石、大京建設だし高い理由に納得、ステータスを満喫。
ガーデニングに凝る。
東~北~西 とバルコニーが繋がっていて広くやりがいがあった。
玄関側と西側は人工芝を入れてベースを整える。
草花やバラ、観葉植物などでジャングルみたいに。 やり過ぎたと少し後悔。。。
嫁は関心なしなので水遣り担当。
当時から鳩対策が課題となり苦慮した。
ラティスもワンポイント。
素晴らしい庭だと自画自賛。住民が見物に来ていたことも。
ガーデン本を読み漁り参考にしたが自分のアイディアが優れているとも思った。
暫くして北側に着手。
土を入れて竹を植えたりしてこれも立派だったが、入居から十数年後の外壁補修工事のため全部撤去となった。管理者の指示。
嫁と土やらの撤去作業に大汗をかき苦労したのが思い出。
娘は平成11年3月無事卒園し、中宮北小に入校。
マンション10階から手を振って見送っていると上を見過ぎて後ろにこけた事件があったような。
まだ、平和な時代でした。