サコダ小水力設計は、小水力発電コンサルタントとしてエコで自然に優しい小水力発電への関心が高まる中、導入に際しての技術検討や複雑な法規制のしくみなどに戸惑い、足踏みされている方々からのご依頼に応じて、小水力導入に際しての基本設計や事業性評価を行い、最適な小水力発電施設導入のご提案を致します。FIT制度もいつまで続くのか分りません。事業者は決断する時です。
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私は鹿児島県生まれですが沖縄に行ったことはありません。
太平洋戦争の終末の沖縄戦で軍人、民間人が多く亡くなっていることは当然知っています。
昭和36年生まれでとても貧乏な家に生まれました。
持ち家では無く借家で、倉庫みたいな6畳二間の小さい小屋でした。
台所と玄関が同じレベル(土間です)でした。
電気は来ていましたね。電線に触り感電したことをよく覚えています。
戦中の鹿児島の被害は沖縄と比べると全然少なかったと思います。
父から聞いたのは米軍の戦闘機が機銃掃射してきて逃げた とか。ホンマ?
でも鹿児島市内は爆撃でかなり焼けたと聞きました。
しかし、米軍に上陸され直接攻撃されていないので人的被害は少なかったようです。沖縄とはそこが根本的に違いますね。
沖縄は日本で一番悲惨です。
火炎放射器で体を焼かれたり、行き場がなくなり身投げしたりと。。。
終戦後、父は満州から帰ってきたらしいのですが、私が生まれて大きくなると悲惨な体験談をよく聞かされました。戦争は怖いなー と思いましたね。
腹が減り死んだ人肉を食べたこともあるようでした。(怖い)
横にいた友達がソビエト軍の機関銃で殺されたとか。いろいろ聞きました。
沖縄の人たちはもっと辛い思いをしたのでしょう。
私は経験していない。でも気持ちは理解できます。
普天間基地を辺野古へ移転させることですが、いつまでも反対していては普天間の危険性が無くならないことは重々承知でしょう。
普天間を開放して辺野古も開放したいとの思いは理解できますが、これはあまりにも沖縄と言う歴史悲惨地の「意地」を張り過ぎではないかと愚考します。
日本の防衛は沖縄の米軍に依存しないといけないことは沖縄人も分かっているハズ。
私は沖縄人は韓国人みたいに歴史に拘り続けて欲しくない と言う想いで一杯です。